生きるとは決断の連続である。右に行くか左に行くか、とどまるか進むか、毎日は常に決断に迫られている。この決断を実行しているのが{私}あるいは{自我}である。

{私}はいろいろな情報すなわち記憶・経験・感情あるいは他者からの指示に基づいてこの決断をおこなっている。{こころ}とはこの{私}に付随しているものすべての複合物を指している。その本態は神経細胞の活動のネットワークであり、その中枢である。このネットワークを支えているものが脳を中心とする体である。あるいは脳が進化した結果生み出されたものが{こころ}であり、その中心が{自我}であるとも解釈される。

感覚器官は周囲の情報を集めるために必要だし、運動器官は周囲の危機を回避するために必要である。体が動くためには外部からエネルギーの取り込みが必要で、そのために消化器官や呼吸器官がいる。また消化器から取り込んだエネルギーを体の隅々まで運ぶために循環器官ができている。

なんでこんな複雑で巧妙な構造物が作られたのかは全くもって奇跡に近い。神の存在を考えてしまうのもあながち不思議ではない。

しかも子孫を残す仕組み{生殖器官}さえ組み込まれ、体が劣化し死を余儀なくされても、後々まで種が絶えないように作られている。まさに驚きとも言える。

湘南こころのクリニック